ヨーハヤサカエクスペリメント

ここでは早坂葉が書いた文章をいろいろ読むことができます。

砂の世界

 私の生まれたところは海岸性の砂丘の上に作られた村で、昔はずいぶんと砂に悩まされたらしい。

 砂丘というものは地形だから、それが「動く」と言われると違和感を抱く人があるかもしれない。砂丘が動くかどうかは、その土地に吹く風と関係がある。大陸から日本海を渡って東北地方へ吹き付ける風は、特に冬から春にかけて強く、これが豪雪や黄砂の飛来をもたらす。庄内砂丘が動くのもこの時期である。風が海岸の砂を陸の方へと押しやり、砂の丘は驚くべき速さで風下へと移動する。

 過去には海岸沿いの家々が砂によって押し潰され、冬の間に村の風景がまるで変わってしまうこともあったという。

 庄内地方の沿岸部を航空写真で見ると、大地の淵に深い緑の筋が走っているのが見える。これは砂丘の上に果てしなく延びる黒松の林である。この林は自然に生じたものではなく、人々が砂の飛来を防ぐために長い時をかけて植林した林なのだ。いわば人間と砂の戦いにおける、人間の最大の成果物だった。

 以上は、私が小学生の時分に村の資料館の老人が語って聞かせた昔話のあらましである。

 そのように御大層な歴史を背負った松林であることはよく知っていたが、私は故郷に十数年暮らす中で黒松ばかりの殺風景には辟易していた。庄内の海岸はどこへ行っても、呆れるほど見栄えのしない松林ばかりなのである。これが赤松であれば樹皮の美しさにおいてやや優れるところがあるのだが、その点、黒松はひどくみすぼらしかった。松林のあいだに作られた道(これは私の長年の通学路だった)は、品のない裸子植物の木陰にあって常に陰鬱としていた。砂の脅威など過去の話となった時代の子供としては、斯様な退屈を有難がることはできなかった。

 私にとってあの黒々とした木々の連なりは田舎の象徴であり、故郷のうら淋しい様子を強調する要素の一つとしか感じられないのだった。

 

 大学へ入って秋田で暮らし始めた私が、秋田という土地は郷里によく似たところがあると思い至ったのも、そこが海岸砂丘地帯だったからである。海に近く、砂混じりの風が塩辛くて、浜辺と集落の境界に黒松の林が横たわっている。まるで庄内砂丘のように白けたところだと思いながらも私はこの地を気に入った。我が身の奥底の分離しがたい何者かが、この見慣れた新天地に喜んでいるのを認めないわけにはいかなかった。

 夏になると私は自転車で海岸沿いを南へ走って、冒険気分で色々な所を見て回るようになった。その頃になると、私はせわしく新しい生活の中にもわずかの余裕を獲得していた。その小冒険は私が故郷にいたときも、見慣れた町に発見を求めてよくやっていたものだった。

 その日、海に面した小学校の向かいに浜辺へと下る道があるのを見つけた。道は急な坂道になっていて、脇を茱萸や浜茄子の藪が覆っていた。私は二つの車輪に身をあずけて、この下り坂を滑り落ちた。

 視界を支配する印象の大半は青一色である。この青は視界の果てる所、つまり水平線によって上下に二分されていて、そうして別れた空と海は全く別の調子で青かった。海は黒味を帯びて硬い鉱物のようだった。黒いといっても、海は水平線に近づくほど明るさと柔軟さを増していたおり、一番向こうのあたりは空と同じくらい明るく白く輝いていた。一方の空は光以外のなにものにもよらずに描かれていて、蒼穹はどこまでも明るくどこまでも柔らかいのだった。けれどもその青さは非常に深く、それはもう、その果てるところ私の目には見えないくらいに深かった。海よりもずっと深かった。天は、視界全体を覆う明るさの奥に、私を軽々と飲み込んでしまうような闇を湛えていた。

 視界は一面、そうしたミステリアスな青に覆われていて、いっそ風までもが青いのだった。私は青い手に頬を撫ぜられた。風が触れる中で、私は少々うるさすぎるくらいの昂揚を感じ、ブレーキを強く握ることでなんとかこの若い心を御そうとした。

 叢の陰に自転車を停め砂浜へ降りた。

 そして、私は恐るべきものを見た。

 

 砂原の中に、古く白茶けた屋根が一列に並んでいた。六、七軒の海の家と思われる建物があるが、現在も機能しているのは一軒だけのようだった。屋根に白いペンキで「はまなす」と大書されたその建物も、かの時期にはまだ閉まっていたので、浜は全体が静まり返っているのだった。残りの建物は朽ち果て、多くは荒んでいた。近づくまで気が付かなかったのだが、多くの海の家はその大部分が砂に埋もれていた。私がその事実に気が付いたのは、何気なく登った小さな丘の上で合金の屋根材を踏んだ時だった。その感触のあまりに心もとないことに背筋は冷えて、慌てて身を引いた。私は、自分が砂に埋まった家屋の屋根の上を歩き回っていたことに初めて気がついた。

 私は絶句した。今立っている場所も、その一軒向こうも、その奥のほとんど砂の丘と化しているのも、みんな砂に呑まれたかつての海の家だったのである。

 なお驚くべきことは、そうして人間の生活を脅かすだけの砂が風に流されて家を押し潰しても、砂丘は茫漠とした広大さを保って、少しも小さくなったりはしないという点である。この広い砂原にとって、家一つを埋めるための砂など、ほんのちっぽけな一部でしかないのだった。

 私は転げ、逃げるようにして丘を降りた。

 人間が砂に敗北した世界が広がっていた。

 

Yo Hayasaka 2019