ヨーハヤサカエクスペリメント

ここでは早坂葉が書いた文章をいろいろ読むことができます。

2024/04/12

 初日から強烈な打撃を喰らった感覚がある。

 受付スタッフをやっている展覧会に出資しているスポンサーの社員の人が見に来てるときはすぐに分かる。上から下まで自社ブランドの服だから。その人が階段に膝をついて床を掃除しているから何かと思ったら、VIPがやってくるのだという。普段なら気にもとめない汚れを一心不乱に取り除いている。彼女がこっちを向いて、VIPが来るときは椅子に座らずに受付に立っていてくれとか、専用のスリッパを並べてくれとか言うのだが、「いやです」とも「あなたがやってください」とも言えず、おとなしくVIPのためにスリッパを並べる。会場の前に黒塗りの車が止まって、VIPが降りてくる。やっぱり全身、****の服!何分置きかに訪れるVIPそれぞれに対して、社員が「素敵なお召し物ですね」とかそれに類する賛辞を送るのはたいてい、はじめの挨拶から3,4秒後、VIPの左脇、遠すぎず近すぎぬ距離に近寄ってからなのだという法則がわかるころには、苦虫を噛み潰したような顔を隠す気がなくなっていた。この人たちが、これから作品の前でどんな話をするのか……。オエーッ!

 最悪だったのはこの後で、俺はVIPの一団が先に入ってしまっているからという理由で、その後に受付に来た何人かの客を帰らせなければならなかった。俺はなんのためにこの仕事をしているんだ、とマジで思った。いや、これが自分でも最悪だなぁと思う話なんだけれど、以下のように思ってしまったんだな。「この人たちが入っていったら、この人自身が居心地の悪い思いをするだろう」と。なぜなら、あまりにも住んでいる世界が違うように思われるからだ。あまりにも”お召し物”の値段に差がありすぎるのが目に見えているからだ。クソが。

 唯一の救いは在廊していた作家が現れたときだった。彼はボロボロのスニーカーのかかとを踏み潰して現れ、俺が何人目かの客を帰らせようと喋れない英語でコミュニケーションを取ろうとしているのを遮ってこう言った。「He is my friend.」それで、俺は彼を会場に入れた。救われたのかもしれないけど、俺は自分の行いを恥じた。何をやっているんだ俺は。

 うるせえクソが全部ぶち壊す、という思いを何かに変換できたらいいのだが。

注釈の生える森

 「〜である」とも言えるし、「〜でない」とも言える。みたいな、ありようが好きなのだけれど、そういうのが嫌いな人もいるのかもしれないと思うことも多くなった。

 このあいだ、大学のときの専攻の教授の車に乗ってたら「どうなの最近は」といつものようにしゃがれた声で聞くので「まあまあですねえ」と答えた。*1

「バイトとかしてるの?」

「してますねえ」*2

 あるいはこういう聞き方もあるかもしれない。

「生活できてるの?」*3

 ご覧のとおりである。アイム・ヒアー。このように生活できていますよ、ワタクシは。だが生活できていないとも言える。人の助けがなければ生きていけないくらいの生活をしている。

 

 最近ノートパソコンの調子が悪い。だが使えている。すぐに充電がなくなったり、重いファイルをダウンロードすると悲鳴を上げたり、動画編集ソフトがカチコチになったりしてはいるけれど、動いている。私はパソコンの悲鳴を聞き流しつつ「もうちょっと頑張ってね〜」と言いながら、この文章を打ち込んでいる。

 今は使えている。電源がつかなくなると、全く使えなくなる。たぶん、パッタリと使い物にならなくなる瞬間が来るのだと思う。今はお金がないので勘弁してほしい。

 

 「〜であること」と「〜でないこと」は、ほとんどの場合その両方の性質が共存していると私は信じている。ほとんどの存在が常に「〜かけ」の状態なのだと。私がある瞬間に〜でなくなることがないと信じている。でも、もしかすると、気がついたときには、〜でなくなっているのかもしれない。壊れかけのパソコンはずっと壊れかけでい続けることはない。不意に電源がつかなくなるだろう。もしかすると「まあまあですね〜」とか言ってるうちに、まあまあじゃなくなるのかもしれない。*4

 前進などない。*5

*1:順調であるとも言えるし、そうでないとも言えるため。

*2:世間一般でいうほどしていないが、自分としてはしている方であるため。

*3:ちゃんと

*4:まあまあであるともいえるし、まあまあでないともいえる

*5:これは否定的な意味ではない

砂の世界

 私の生まれたところは海岸性の砂丘の上に作られた村で、昔はずいぶんと砂に悩まされたらしい。

 砂丘というものは地形だから、それが「動く」と言われると違和感を抱く人があるかもしれない。砂丘が動くかどうかは、その土地に吹く風と関係がある。大陸から日本海を渡って東北地方へ吹き付ける風は、特に冬から春にかけて強く、これが豪雪や黄砂の飛来をもたらす。庄内砂丘が動くのもこの時期である。風が海岸の砂を陸の方へと押しやり、砂の丘は驚くべき速さで風下へと移動する。

 過去には海岸沿いの家々が砂によって押し潰され、冬の間に村の風景がまるで変わってしまうこともあったという。

 庄内地方の沿岸部を航空写真で見ると、大地の淵に深い緑の筋が走っているのが見える。これは砂丘の上に果てしなく延びる黒松の林である。この林は自然に生じたものではなく、人々が砂の飛来を防ぐために長い時をかけて植林した林なのだ。いわば人間と砂の戦いにおける、人間の最大の成果物だった。

 以上は、私が小学生の時分に村の資料館の老人が語って聞かせた昔話のあらましである。

 そのように御大層な歴史を背負った松林であることはよく知っていたが、私は故郷に十数年暮らす中で黒松ばかりの殺風景には辟易していた。庄内の海岸はどこへ行っても、呆れるほど見栄えのしない松林ばかりなのである。これが赤松であれば樹皮の美しさにおいてやや優れるところがあるのだが、その点、黒松はひどくみすぼらしかった。松林のあいだに作られた道(これは私の長年の通学路だった)は、品のない裸子植物の木陰にあって常に陰鬱としていた。砂の脅威など過去の話となった時代の子供としては、斯様な退屈を有難がることはできなかった。

 私にとってあの黒々とした木々の連なりは田舎の象徴であり、故郷のうら淋しい様子を強調する要素の一つとしか感じられないのだった。

 

 大学へ入って秋田で暮らし始めた私が、秋田という土地は郷里によく似たところがあると思い至ったのも、そこが海岸砂丘地帯だったからである。海に近く、砂混じりの風が塩辛くて、浜辺と集落の境界に黒松の林が横たわっている。まるで庄内砂丘のように白けたところだと思いながらも私はこの地を気に入った。我が身の奥底の分離しがたい何者かが、この見慣れた新天地に喜んでいるのを認めないわけにはいかなかった。

 夏になると私は自転車で海岸沿いを南へ走って、冒険気分で色々な所を見て回るようになった。その頃になると、私はせわしく新しい生活の中にもわずかの余裕を獲得していた。その小冒険は私が故郷にいたときも、見慣れた町に発見を求めてよくやっていたものだった。

 その日、海に面した小学校の向かいに浜辺へと下る道があるのを見つけた。道は急な坂道になっていて、脇を茱萸や浜茄子の藪が覆っていた。私は二つの車輪に身をあずけて、この下り坂を滑り落ちた。

 視界を支配する印象の大半は青一色である。この青は視界の果てる所、つまり水平線によって上下に二分されていて、そうして別れた空と海は全く別の調子で青かった。海は黒味を帯びて硬い鉱物のようだった。黒いといっても、海は水平線に近づくほど明るさと柔軟さを増していたおり、一番向こうのあたりは空と同じくらい明るく白く輝いていた。一方の空は光以外のなにものにもよらずに描かれていて、蒼穹はどこまでも明るくどこまでも柔らかいのだった。けれどもその青さは非常に深く、それはもう、その果てるところ私の目には見えないくらいに深かった。海よりもずっと深かった。天は、視界全体を覆う明るさの奥に、私を軽々と飲み込んでしまうような闇を湛えていた。

 視界は一面、そうしたミステリアスな青に覆われていて、いっそ風までもが青いのだった。私は青い手に頬を撫ぜられた。風が触れる中で、私は少々うるさすぎるくらいの昂揚を感じ、ブレーキを強く握ることでなんとかこの若い心を御そうとした。

 叢の陰に自転車を停め砂浜へ降りた。

 そして、私は恐るべきものを見た。

 

 砂原の中に、古く白茶けた屋根が一列に並んでいた。六、七軒の海の家と思われる建物があるが、現在も機能しているのは一軒だけのようだった。屋根に白いペンキで「はまなす」と大書されたその建物も、かの時期にはまだ閉まっていたので、浜は全体が静まり返っているのだった。残りの建物は朽ち果て、多くは荒んでいた。近づくまで気が付かなかったのだが、多くの海の家はその大部分が砂に埋もれていた。私がその事実に気が付いたのは、何気なく登った小さな丘の上で合金の屋根材を踏んだ時だった。その感触のあまりに心もとないことに背筋は冷えて、慌てて身を引いた。私は、自分が砂に埋まった家屋の屋根の上を歩き回っていたことに初めて気がついた。

 私は絶句した。今立っている場所も、その一軒向こうも、その奥のほとんど砂の丘と化しているのも、みんな砂に呑まれたかつての海の家だったのである。

 なお驚くべきことは、そうして人間の生活を脅かすだけの砂が風に流されて家を押し潰しても、砂丘は茫漠とした広大さを保って、少しも小さくなったりはしないという点である。この広い砂原にとって、家一つを埋めるための砂など、ほんのちっぽけな一部でしかないのだった。

 私は転げ、逃げるようにして丘を降りた。

 人間が砂に敗北した世界が広がっていた。

 

Yo Hayasaka 2019

日和山

 日和山の上に日枝神社と光丘神社という二つの神社がある。私は日枝神社のことは好きだったが、光丘神社のことを好かなかった。

 郷里では毎年五月二十日頃に酒田祭というのがあって、日枝神社にはその祭神がおわすのである。酒田祭は日和山から市街へ続く道を出店屋台が埋め尽くして大変な賑わいであり、なかなかに心躍るものであるのだが、高校へ入った時分の私は、酒田祭は俗っぽくていけないなどと嘯いて自ら足を向けるのを潔しとしなかった。愚かなものだ。郷里を離れた今となっては、そう簡単に行くこともかなわない。

 日枝神社例大祭を自ら遠ざけた私であったが、当の神社は大好きだった。

 日枝神社は社殿、隋神門ともに素晴らしい規模と細工を誇る。江戸時代、当地を治めた本間光丘公によって建立された。光丘公は江戸時代の日本に広く名の知れた偉大な公家であり、社殿の造りの美しいのも頷ける。境内は様々な木々の緑に囲まれていて、大変居心地がよかった。数ある草木の中でも、私はとりわけ隋神門の脇の銀杏の巨木と、境内の一角を占める八重桜が好きだった。

 

ある雨の日、母と共に日和山へやって来た。傘をさしながら見る境内は、煙って色が淡く滲んでいくようであったが、同時に雨に濡れそぼった止め石や、社殿の紅殻色はいよいよ色の深みを増していた。八重桜が満開で、枝が重たげに項垂れていた。花弁に雨粒が打ちつけているのが克明に観察されて、私は宝石でも見ているのか知らと思えてきて、気分が高揚した。

 傘を畳んで拝殿の軒下に入った私と母は、そこに腕が一本転がっているのを見つけてひどく驚いた。50センチメートルに満たない大きさの肘から掌にかけてが、賽銭箱の脇にごろりと転がっていたのである。私たちはぎょっとして御神体の面前であるのも忘れてた大騒ぎし、駆け寄った。

 しげしげと近くで観察すると、それは木製の彫り物で、剥げかけた古い塗装の跡があった。肘より後ろは嵌め込み細工のために四角く削られていた。人間の腕が転がっているのかと思って焦ったが杞憂であった。

 母が「あっ」と声を上げた。頭上を仰いで天井の細工を指差した。拝殿の庇の下には、その天井や柱に至るまで木彫りの装飾が施されていて、その中に七十センチメートルもあろうかという猿の彫り物があった。猿は目を大きく見開いて、梁に腰掛け、こちらを見つめている。中央と左右に一匹ずつ、全部で三匹いる。

 向かって右の猿の片腕に肘から先が無いのを見とめ、私も母も理解した。賽銭箱の横に転がった腕の持ち主は、この木彫りの猿だったわけだ。

 他の二匹の猿どもに比べて、腕を落としたそいつの表情がどこか物悲しく見えるのは私が人間だからなのだろうけれど、そう思われて仕方なかった。木から削り出された猿は表情を変えることなく、だがはっきり哀しそうに、いつまでも梁の上から私を見つめるのだった。

「誰か治してやってほしいねえ」と母が言った。

 

 それから私たちは境内の一端にある光丘文庫へ行った。

 資料によれば光丘文庫は1925年に、当時の本間家の当主をはじめとした好資家の出資によって建てられた図書館であった。当時は市の中心的な図書館だったが、時を経てより大きな図書館が建設されると、貸し出しを行う図書館としての機能を失った。私が初めて行った時には既に貸し出しを行う図書館ではなく、歴史的な地域資料を保管展示する施設となっていたのである。

 光丘文庫の建物はコンクリート製で、屋根は銅葺で中国風の派手な形をしていた。入り口には不思議な書体で書かれた扁額が掲げられていた。外装はコンクリートの社殿造風だが、内部はリノリウムの床材が敷かれて洋館然としていた。

 建物のほとんどの部分は1925年当時から改められた様子がなく、窓硝子にはゆらぎが入っていたし、壁面も至る所にひび割れや滲みがあった。

 剥がれかけた漆喰の壁面の至る所に貼り紙や掛け時計の動かないやつといったのがあり、今は閑散とした文庫の内部に、かつての人間の活動を確かめることができるのだった。背の高いスチールのキャビネットは錆だらけで、そいつが経た時間の痕跡みたいなものかと思った。

 古い建物だが不潔の感はなく、冷えて居心地のいい空気が静かに対流しているのがわかった。年季の入った黒い革張りのソファーに腰を下ろして、きゅうっと背伸びをした勢いで天井を見ると、そこも重々しいコンクリートで、滲みが浮いていた。一体いつからそこにあるのだろう。私はキャビネットやソファー、コンクリートの表面に浮いた滲みの一つ一つの歴史に、吸い込まれそうになるほど思い巡らし、やがて埋没した。

「あんた、いつまでそうしてんの」

 母に揺すり起こされて目を覚ました私は、どこまでが夢でどこまでが実在の歴史事であったのかも判然としなかった。黒いソファーから身を起こし、眠い目を擦って母の後を追って外へ出ると、雨はまだ降り止んでいなかった。その日はそれきりで家へ帰った。

 

 その後にも日和山を訪れる機会は何度かあった。その中でもとりわけ印象深いのは、私が秋田へ来ることになる数日前に、これまた母と二人で赴いた日のことである。

 大学受験の前にも日枝神社にお参りに来ていたので、その御礼というわけでやってきた日のことだった。三月半ばのことだ。

 海からの風は未だ冷たい頃だったが、松に囲まれた境内は刺すように暴力的な風からは守られていた。

 隋神門の脇にある大銀杏の枝がみんな切り落とされて、幹の脇に積み上げられていた。以前来たときには、天を覆わんばかりに枝が広がっていたはずだ。

 隋神門の下を潜るとき、以前ここで雨粒が門の屋根を叩く音を聞いていたのを思い出して足を止めた。同行の母も思い出したらしく、そのことを二人で言い合った。それから二人でじいっと耳を澄まして、門の下を走り抜けていく風の唸るのを聞いていた。やがて遠くから人の話し声が聞こえてきたので、私たちはそっとその場を離れた。

 拝殿の前へ出ると、私は真っ先に例の猿の腕を探した。無い。辺りを見渡しても、一帯にそれらしいものは無く、頭上の猿の腕へと戻ったわけでもなかった。どうやらあの猿の腕はどこかへ逸失し、猿はその身の一部を永久に失ったらしい。猿というのは、例えそれが木彫りの置物であっても、少しばかり人間に似ているからたちが悪い。私たちは片腕を失った猿に、今度こそ同情せざるを得ないというのに、何だって当の猿めはああしてにやにやと笑っているのだ。我々はしばらく猿を眺めていたが、やがて光丘文庫へ足を向けた。いつもそうしていたように。

 

 光丘文庫は閉じていた。一時の休館ではない。本当に閉じていたのだ。立ち入りを制限するために張られたロープ。そこに提げられた札には「老朽化に伴い閉館云々。蔵書に関しては市内資料館にて閲覧可能云々」との文言。

 私はこのとき初めて、時は流れたのだと痛感した。時が流れ、銀杏の枝が切り落とされ、猿の腕は失われ、光丘文庫は閉じた。

 あまりにも早い。あまりにも早いではないか。時間は何をそんなに急いでこの私の上、街の上を駆け抜けていくのだ。

 私は何か非常に重く忌々しいもので打たれたような衝撃を受けた。顔や胸といった私の外側ではなく、より内側に隠していたものを打たれたのだ。

 母は「仕方ないねぇ」と言って踵を返した。これまで私が一度も行ったことがなかった光丘神社の方へと向かった。

 光丘神社は日枝神社より後に、日和山の北側に建立された神社で、本間光丘を祀っているという。建立は光丘文庫が建てられたのと同じ1925年であるから、当時の日和山では二つの建築作業が並行していたことになる。さぞかし賑やかであったことだろうと、私は夢想するものである。

 光丘神社の狛犬日枝神社のそれより見窄らしい姿をしていた。阿吽の相を呈する双犬のうち、とりわけ吽形の狛犬は大きく剥落して損傷が酷かった。先程私は、猿は人間に似ているので同情するというようなことを書いたが、狛犬を前にした私たちの態度もそれに大差なかった。

 母は眉を八の字にして、この神獣を憐むように見た。

 神門を潜って開けた境内に出た私は、なんだか恐ろしい気持ちになった。こう書いては大変失礼なことやも知れないが、事実であるから書いておくことにしよう。

 境内は閑散としてうら淋しく、周りの木々も薄いので風当たりも強かった。何より社殿の脇の境内と接続する場所に廃屋が建っているのが耐え難い不気味さであった。廃屋はこの場所のかつての管理人の住居と見られ、埃っぽい窓の向こうに汚れたカーテンが見て取れた。入り口らしきところから内部の雑然とした様子が垣間見えた。自転車の残骸や、穴の空いたバケツなんかが積み上がっていて、凡そ神社の境内から見る光景として相応しいものではなかった。

 なんだか気味の悪いところだと思って、廃屋と反対の道へ逃げるように出た。松林はいよいよ薄く、風が肌を刺す。私と母はひゃあひゃあ言いながら丘を上がり、敷地を一周する形で最初の日枝神社の裏手へ出た。わずかに高くなった丘の上で振り返ると、林の間から黒々とした日本海が見えた。

 丘を降りて日枝神社の表へ出ると、先ほどまでは誰もいなかった境内に、四、五人の参拝客があって神の御前は賑やかだった。

 一人の中年の女性が足を止めて佇んでいた。彼女の視線を辿って私が顔を上げると、背の高い梅の木の枝先に、一輪だけ花がついていた。

「梅が」

 私が呟くと、女性はこちらを見て少し笑った。

 

Yo Hayasaka 2019

【出演情報】渦

 

 ダンス・演劇・朗読・音楽のアラカルト公演「渦」に出演します。

 全体では四つの演目が行われ、それぞれが全く異なる毛色のものになっています。私はダンサーの足達香澄さん、加賀谷葵さん、短歌を詠むフジワラマリさんと共に作品を作ります。私の担当は音全般です。

 今回、葵さんにお声がけいただいて参加することになりました。共演する三人の活動はSNSなどでこっそりと見て知っていたし、BAZARのパフォーマンスやマリさんの展示も実際に見に行く機会は過去にあったのですが、お話ししたことはありませんでした。急に舞い込んできたお誘いによって「どこかで作品を作ってる人」が「一緒に作品を作る人」に一瞬にして変わってしまうのは、とても不思議なことです。美大にいて作品を作っているときには、このスピード感で共作が決まるというのはなかなか起こらないことでした。一緒に公演を作っていく中で、即興が重要な要素として、すばらしい面白みとして、そして分厚い壁として私の前に現れるのですが、この即興性は私にお話が舞い込んでくるその瞬間に既に働いていたのだろうと思います。本当に偶発的に、私はこの渦に巻き込まれるようになったような気がしているのです。

 喜んでご一緒させていただくと決めたものの、こうした公演に出演すること、演目を作っていくということ自体が初めてのことで、正直、どのように参加していけばよいものか戸惑いました。公演が近づきつつある今でもその思いはありますが、何度かのセッションを経て徐々に「参加できてるな」と思うようになりました。毎度、口では「なんでもやるっす」とか言っているのだけれど、本当のところは即興で音を奏でる役回りというのは怖くてしょうがない。なぜなら全然基礎ができてないからです。けれど、これも毎度のことですが、やっているうちに緊張や恐ろしさで忘れていた楽しみが起き上がって、最後はそいつだけが残ることになるのです。昨日もセッションをしたのですが、そのときも全くその通りだったなと思います。頭で色々と考えていたことを置き去りにして、その瞬間をつくることに専念したときのほうがなんかよくなる。いつもそうなるのであればもっと早く楽しんでしまえばよかった、と思うのですが、そうもいかない。私は何が起こっているのか、今はちっともわかりません。

 私はまだ始めたてで、こういうぎこちなさの中にある純粋な喜びを原動力にしてパフォーマンスをしているように思います。いつかこういうぎこちなさは失われて、洗練された技術と身振りが体得されうるのかもしれません。早くそうなってほしいなと思いつつも、今この瞬間のぎこちなさのことも楽しんでやるか、という思いも生じつつあるのはちょっと成長かなと思います。

余談

 昨日葵さんに「葉くんブログ始めたよね、渦のアカウントで紹介していい?」と尋ねられたのですが、その時点でここには「ハイラル滞在記」という記事しか存在しておらず、流石にイカンと思って、急遽真面目な告知文を書くことにしました。尻に火がつかないと何もしないタイプなのでよくない。マジで。

 以下は公演の詳細情報です。リンクから公式SNSと予約フォームに飛べます。

 

公演情報

公演「渦」

 

▪️日時

8月26日(土)

14:00〜/18:00〜

※それぞれ30分前開場

 

▪️出演

渡部悠 / 演劇ユニットRHマイナス6/ 田中太郎 aka 犬dogg × 小野地瞳 / 安達香澄 × 加賀谷葵 × 早坂葉 × フジワラマリ

 

▪️入場料

1,500円(税込)

 

▪️会場

ココラボラトリー

 

■チケット購入方法

↓以下のリンクよりご予約お願いします↓

 

____________________

 

〈STAFF〉

▪️照明・音響

今野仁

 

▪️「演劇ユニットRHマイナス6」制作チーム

脚本/今野仁

楽曲制作/江畑邦彦

スタッフ/伊藤重喜、横山和彦、赤須貴子

 

〈主催〉

加賀谷葵

____________________

 

◆公演「渦」公式SNS

Instagram@uzu_2023

Twitter@uzu_2023

 

◆お問い合わせ先

080-5575-7642

aoikagaya93@gmail.com (加賀谷)

8/7 - ハイラル滞在記

あまりにもゼルダをやりすぎてしまうので

ハイラルへ行くのは1日に1時間だけと決めた

クローン

 平原外れの馬宿へ戻ってユーグレナにまたがり、南東へと向かう。

ユーグレナ号。なつき度がMAXになった。

 南方のフィローネ地方に横笛奏者の少年がいるとの情報を得て、緑色の馬にまたがって街道を疾駆する。しかし勢いがつきすぎて、道を間違えて東に行きすぎてしまう。短くはない距離を無駄に走ってしまった。いや、無駄ではない。普段の私ならゲームをしている時に道を間違えたら機嫌が悪くなっていたかもしれないが、私はハイラルの景色を眺めることを楽しみにこのゲームをしているのだと思えばそこまで腹も立たない。だが少しだけムカついたので腹いせにゴブリンどもの集落を燃やした。

燃え盛るゴブリンの集落とゴーレムたち。

 しかし天網恢々疎にして漏らさず。ゴブリンを焼き尽くす私の背後から第三勢力のゴーレムが乱入し混戦状態になった。這う這うの体で一度は逃げ出したものの街道を駆け下る途中で「奴ら……許せん!」と踵を返して、火のついた矢を射かけた。書いていて思ったが、やっていることがいちいち三国志演義の武将じみている。私は敵に火をつけるのが好きだ。

 

 その後、人助けをしつつ南下し、ハイリア大橋を渡るときにデカいキングギドラのような生物に蹴散らされて橋の下に落下するなどしつつもどうにか目的地である高原の馬宿に辿り着いた。

 この付近に横笛奏者の少年がいるらしい。ただ、結果から言えば今日中には横笛奏者は見つからなかった。

 高原の馬宿付近で起こった出来事は主に以下のようなことだ。

 

・井戸の底へ行く。

・野生馬を捕まえる。

・海賊船を討伐する。

 

 井戸の底にはハナアブの幼虫に似た気持ち悪い魔物が巣食っており、それを討伐すると宝箱から見たことのないアイテムが出てきた。

小学校の頃、初めてハナアブの幼虫を見つけた幼馴染の女の子が
正体不明のこの生き物を「キモス」と名付けていたのを思い出した

強いことしか書いていない。

 しかし私は知っている。こういうアイテムはだいたい重大な欠陥を抱えているものだ。そうは思いつつも、少しだけ心躍らせつつ槍の穂先にこのアイテムを装着した。井戸を脱出し、しばらく走って見かけた黒ゴブリンを槍で突いてみると、目の前のゴブリンが異次元に飲み込まれるように消えた。これはすごい。とんでもない武器だ。このまま魔王の根城まで突撃だ!どこにあるのか知らないが。

 と思ったら、槍の穂先につけた最強の素材も消えていた。ゴブリンと同時に対消滅していたのだ。これが代償である。はいはい、やっぱりねという感じではあったが一瞬ワクワクさせてくれたのは良かった。

 

 その後、パラセールで滑空していると、眼下に他の馬達に混じって草を食むユーグレナを発見。急降下して跨ると突然暴れ出した。死角から背中に飛び乗られたらそりゃあ驚くだろうという話ではあるが、ちょっとメタ的なことを言ってしまうと、飛び乗った時に驚くのは野生馬だけなのである。

 

 ここで初めて気がついたが、私がまたがったのはユーグレナではなく彼(彼女?)に瓜二つの別の馬だったのである。馬宿に戻ってユーグレナと見比べてみたが、鞍と手綱がついている以外には全く違いがない。ほとんど分身だ。これはもはやクローンだ。ユーグレナ*1細胞分裂したのだ。

 

名前はユーグレナ2とした。

ほら、このりんごをお食べ。
新入りの後ろからユーグレナがじっとりとした眼差しを送る。

 ちなみに、この記事を書いていて初めて気づいたのだが、(当然のことではあるが)野生馬には蹄鉄がついていないが、飼っている馬には蹄鉄がついている。馬宿に預けると馬に蹄鉄がつく!私が気づいていないだけで、このようなディティールへのこだわりが無数に散りばめられているのかと思うと、頭の奥の方がひやりとするような感覚がある。

 

 海賊船を討伐した件は割愛するが、やはり火を放ったことだけを記しておく。

*1:今更だがユーグレナとはミドリムシのことである

用語集 - ハイラル滞在記

 ゼルダの伝説ティアーズ オブ ザ キングダムをやったことがない人がハイラル滞在記を読むための用語集。公式情報ではないので悪しからず。

 

 

基本

ぶっちゃけここだけわかればなんとなく読める。

 

ゼルダ

 ハイラルの姫。主人公ではない。前作で色々あってリンクに助けられたらしい。現在は行方不明。

 

ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム

 略称TotK。筆者がやっている。とても面白い。

 

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 略称BotW。とても面白いらしい。TotKの前作にあたるが、筆者はやったことがない。やってなくてもTotKも楽しめるが、よくBotWから続投している登場人物が「久しぶりだな!」と話しかけてくるので困惑する。またBotWをやっていないことが影響して、「たぶん」とか「らしい」でしか書けないことがいっぱいある。

 

魔物

 リンクを見つけると襲ってくる。ゴブリンとゴーレムがほとんどだが、他にも飛ぶやつやデカいやつ、キモイやつなど色々いる。厳密にはゴーレムは魔物ではないらしいが、細かいことはどうでもいい。

 基本的にこの滞在記では敵の話はあまり出てこない。たまに出てきても、デカいやつとか骨のやつとか、そのくらいの解像度で理解して貰えばよい。

 

ハイラル王国

 物語の舞台。ハイラル平原とその周辺を含む王国で、たぶんゼルダが統治している。

 色々あって国土が荒廃している。地域の名称としてのハイラルは王国中央部の平原地帯だけで、その周辺地域の砂漠や森林地帯は別の名前で呼ばれている。

 

ユーグレナ

 リンク及び筆者の愛馬。毛並みが青緑色なのでユーグレナと呼んでいる。非常に足が速い。

 

リンク

 金髪碧眼の勇者。主人公。前作でハイラルを救ったらしい。

 

馬宿

 街道沿いにある馬を預かってくれる施設。

空島

 空に浮かんでいる島。見上げるといっぱいある。BotWでは存在しなかったらしい。

鳥望台

 ハイラル各地にある高い塔。ランドマークみたいなもので見つけるとちょっと嬉しい。地図を作るために使う施設。

 

大妖精

 防具を強化してくれる妖精。条件を満たさないと会えない。

パラセール

 パラシュートとグライダーを合わせたようなもの。これがあると滑空できる。

 

武器

 片手剣、両手剣、槍がある。武器に魔物の素材を合成することで強化することもできる。リンクは武器の他に盾と弓も常に装備している。どれも消耗品で、使い続けるといずれ壊れる。

 

ほこら

 巨大な石のほこら。ランドマークみたいなもので見つけるとちょっと嬉しい。

 内部では主に謎解きが課されて、クリアするといいものがもらえる。

 

その他